変人(アスペルガーより)の日記

変人(アスペルガーより)の思考を残すためのブログ

wais-Ⅲ(ウェクスラー成人知能検査)を実施

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はてなブログを放置していた訳ではありませんが、

最近記事を記載するペースがどんどん落ちています。

 

ということで本題に入ります。

 

wais-Ⅲ(ウェクスラー成人知能検査)を受けてきました。

1カ月以内に結果が届くと思います。

 

なぜ受けたかについてですが、

1.自分が発達障害なのか否かを知る

2.数値が高ければメンサ試験に応募したい

 

1.自分が発達障害なのか否かを知る

私は以前からマイノリティだ、ネガティブな見方だと社会不適合者だ、などと思っていました。

というより今も思っています。

理由は様々ですが、基本的には私の話を周りが理解してくれない。

相手が理解出来ないことが理解出来ない。

という会話やコミュニケーションで一番重要な部分で違いを感じているからです。

そうなると、あれっ?俺って発達障害なのかな?

ただ単に社会不適合者なのかな?

性格が悪すぎるだけ?

空気が読めないKYってやつ?

などネガティブな事を考え続けます。

結局私って何?どういう人間?と考えます。

主観ではIQが高いなどと思っており、客観的にみると相手を見下しているような態度を取っている事が多いですが、

では実際はどうなのか?正しい検査を受けたくてwais-Ⅲ(ウェクスラー成人知能検査)を受けました。

精神科の医師2人に「あなたはアスペルガー傾向にあります」と言われ、

傾向ってなに?分布で言うとどの辺?などの考え、医師の診断が正しいかどうかも疑っているような状況だったので、

客観的数値を知るという目的で検査を受けました。

保険が適用され費用はだいたい2000円以内に収まりました。

 

2.数値が高ければメンサ試験に応募したい

以前の記事である方と話をすると脳汁(ドーパミン的な物質)がどばーっと溢れると記載しましたが、

私の思考より深いとか早いとかそういう方と話をしたときに幸せを感じました。

主観では自分はIQが高いと思っている勘違い野郎ですが、

もし仮にIQが高ければ、IQが高い人と交流をすることで、

幸せを感じ続けられるのでは?と思っています。

メンサに入れば上記のような方と交流できるのでは?と考えています。

試験の内容的に厳しいかと思っていますが。。。

 

ここでwais-Ⅲ(ウェクスラー成人知能検査)をざっくり振り返ります。

まず臨床心理士の方と個室に入り説明を受けます。

最初に聞かれたのは、

「あなたが今一番困っていることは何ですか?」

 ⇒周りが理解してくれないしそれが理解出来ない

「この検査を受ける目的はなんですか?」

 ⇒客観的に私がどんな人間か知りたい

それで臨床心理士の方が納得したかどうか分かりませんが、

試験が始まりました。

内容は14回小テストみたいなことを行うような感じでした。

出来ない項目は半分も出来ず、出来る項目はほぼ全部出来るみたいな感じでした。

内容はかなり簡単ですが、頭を使うことが多かったり、

知識がないと回答出来ないような問題もありました。

(勉強をしてこなかった私に歴史とか地理とか言葉の意味とか聞かれても分かるはずない)

ほぼ全部出来た項目の後には、臨床心理士の方から

「この問題を解くために頭の中で何を考えていましたか?」

「あなたは手先が器用に見えますが、仕事でそういう作業が多いですか?」

「どうやってこの問題を解いたか説明してください」

などと聞かれて素直に答えました。

 

結果は1カ月以内に来るとのことなので、結果が来たら再度ブログに記載します。

良くても悪くても数値まで公表しようと思います。

(結果を開示してくれるとのことなので)

 

最近はてなの無料版ブログが使いづらいのでwordpressに引っ越ししようかと検討中です。

 

勉強って無駄じゃない?

最近ブログ更新を怠っていました。

というよりも別のブログを立ち上げてそちらでの作業を続けていました。

家づくりに関するブログを作成中です。

気になる方は「アスヤマブログ」で検索です!

 

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本題に入ります。

今回は思っていることをずらずら書いているのでまとまりがない記事になります。

ご容赦下さい。

 

人間って無駄なことを繰り返して生きているように最近すごく感じます。

これも主観100%なので異論は認めます。

個人視点で考えると全然無駄ではないが、人類視点で考えると無駄ばかりだなぁと最近考えてます。

 

その中でも勉強が無駄にしか思えません。

 

えっ?この人何言ってんの?いやいや勉強が無駄ってお前バカ?勉強は人生の糧だ。

などと思っている方はそっと戻るボタンを押下です。

ここまでの時間を無駄にしてすいません。

それ以外の人は下記に行きましょう!

 

人生を時間軸で考えると、誕生⇒成長⇒勉強⇒労働⇒衰退⇒死となります。

ここでいう勉強は受けられる環境にある人は受ける権利があります。

勉強は保育園、幼稚園から長ければ大学まで行います。

労働は人類をより豊かにするために行う行為ですが、勉強って個人的な成長が強いと思っています。

 

日本語は勉強しないと分からないとかいう方がいるかもしれませんが、生きていく為に必要なら自ら学んだりしませんか?

労働社会でいうところのOJT(オンジョブトレーニング)のようなイメージです。

家庭の事情で海外へ引っ越さないといけない人は、海外で生活するために必死でその土地の言語や文化を学ぶと思います。

さらに勉強って全ての人生で必要ではないと思っています。

古文とかって今までの人生で必要になったことはありますか?

ないと思います。私はありません。

人類視点に戻ると、人類が発達する、豊かになる、子孫を残すために必要な科目に絞れませんかね?

皆さんは何故勉強をしていましたか?

やれと言われたから、みんなやっているから、常識だから、などでしょうか?

私は勉強はしなくなったと以前言いましたが、勉強そのものに対して、何故勉強する必要があるのかずっと考えていました。

人生で経験をつみあげていくにつれて古文のように勉強する必要なかったなどと思ったりもします。

 

さらに人間が今後進化して、脳をアップデート出来たら、勉強なんかいらなくなるかもしれません。

 

言いたいことが右往左往していますが、

今のあたりまえとか、常識とかを何で?とかどうして?って考えたりすると新しい考えが生まれます。

 

内容もまとまりもない記事になりましたが、更新頻度が減っていたこともあり、生存確認的な認識で書いています。

ディスレクシア(発達性読み書き障害)について

今日は家族でお花見に行ってきました。

子供が先週から風邪で寝込んでいたので子供にとっても久々のお出かけでした。

昔はお花見など興味すらありませんでしたが、妻が花が好きなのもあって、妻と出会ってからはお花見や家に花を生けるなど花を見る機会が増えました。

そうなると私の好奇心がだんだん増えていき、なんで植物は花を咲かすのか?なぜ花は色がついているのか?なぜ大きさがちがうのか?枚数は、形状は、地面からの高さはなどと考えてしまっています。

そこまで興味がないので思考はそこで停止していますが、感情的には花を見ると癒されます。

花っていいですね。

 

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本題に入ります。

 

皆さんは友達や知り合いに文字を書いたり読んだりするのが苦手な人っていましたか?

私は最近血のつながっていない親戚に苦手な人を知りました。

一般的にはディスレクシアと言われて、日本では発達性読み書き障害と言われているそうです。

親戚にいるので少し持論を残します。

 

結論は「現代の日本ではディスレクシア(発達性読み書き障害)は社会不適合者の道しか用意されていない」です。

 

以下の内容で深堀します。

  1. 他者に理解されない
  2. 読み書きが出来ないだけで出れる社会が限定される
  3. 異物扱いされて他の面を見て貰えない

 

「1.他者に理解されない」ですが、

読み書きについてのマジョリティは、他人が文字が書けない、文字が読めないことが理解できません。

理解出来ないと人間は、あいつは変だ、おかしい、病気だ、障害者だ、私達とは違う、頭がおかしいなどの負の感情を抱きます。(ある方のお言葉)

実際にこのブログの文章を読んでいる人はディスレクシアについてはマジョリティなので理解することは出来ないと思います。

実際に私も完全には理解出来ていません。

そうなるとディスレクシアの人達は孤立します。

人間は文字の読み書きの能力を開拓したことで、伝える、残す、共有するなどの行為を行えるようになり、文化、文明を発展させ続けています。また現代ではそれがベースで生活を進めています。(原住民族で文字の文明が発達していないとこは省く)

逆にディスレクシアの人も他者を見て、なぜ文字の読み書きが出来るのか?と理解出来ていないと思います。大多数の人が文字の読み書きが出来れば、日本の教育だと劣等感を感じます。重度の場合は支援学級などに転校したりして、さらに普通の人達から遠ざけられ劣等感を感じると思います。

支援学級などに行かずに普通の人と教育を小中高大と長い年月を過ごすとその期間ずっと劣等感を感じながら生きていかなければなりません

文字の読み書き以外の知能は普通、会話も普通、性格も普通なのに他者に理解されないというだけなのに。

 

「2.読み書きが出来ないだけで出れる社会が限定される」ですが、

生まれ持ってディスレクシア持ちだった瞬間に現代では将来の仕事が限定されます。

将来仕事をして、対価(お金)を得て、生活をするというサイクルを送る場合、世の中には様々な分野、業種の仕事がありますが、ほとんどの仕事で支障が出て、出来る仕事限定されます。

文字を読んだり書いたりせずに仕事をしてる人ってどのくらいいるんでしょうか?

私が考えられる範囲では読み書きをしない仕事って考えられないです。極端ですが自分の名前すら書いたり読んだり出来ない人にあなたはどんな仕事を与えられますか?芸術系やスポーツ系ですら現代では支障が出ると思います。(サポートがいれば別)

ディスレクシアの人はそれを知ったら絶望すると思いませんか?

なりなたくてなった訳ではないのに、すごく人生不利だと思いませんか?

私も少なからずマイノリティですが、生きずらいと感じることが多いです。

 

「3.異物扱いされて他の面を見て貰えない」ですが、

上記でも少し触れましたが、ディスレクシアの人は読み書きが出来ないだけで、それ以外は普通の人です。

会話も出来るし、知能も劣っていない、性格にも欠陥がない、スポーツも出来る、友達も作れるのに、ディスレクシアというだけで異物扱いされると、上記が出来てもそれらは見て貰えないことが多いです。

例えば、日本の学校英語圏から転校して来た生徒がいたとします。日本語が分からないのでコミュニケーションが取れません。その転校生は数学の才能があっても、周りの日本人からは日本語が出来ないだけで異物扱いされます。(異物扱いしないよって人もいるかもしれませんがする人が多いと感じています)

あの転校生は英語だけで日本語が分からないから話かけないでおこうとか、コミュニケーションが取れないから仲間に入れないでおこうとか、ちょっと距離を置こうとか思ったりしませんか?

上記のような環境だとその転校生の数学の才能は見て貰えなかったり、認めて貰えなかったりして埋もれたりすることがあります。

集団を形成して生活するということはそういうことです。

 

上記を踏まえると結論の「現代の日本ではディスレクシア(発達性読み書き障害)は社会不適合者の道しか用意されていない」になります。

 

 

ここから少し親戚の話をします。(身バレしないようところどころフィクションを入れます)

私の親戚はまだ学生です。そして重度のディスレクシアということです。

どのくらいかというとテストで自分の名前がやっとかけるくらいで(多分自分の名前は絵として認識しているんだと思います)、基本的に全て白紙で0点というレベルです。

話をしたことがありますが、会話のキャッチボールもスムーズでそう言われなければディスレクシアとは分かりません。

小学生時代はまだなんとかなりましたが、中学に入って勉強や学習の意識レベルが上がるにつれて周りについていけない、そして先生やその子の親からはテストを真面目に受けろと怒鳴られ続けられたみたいです。

ずっとテストで0点の状態が続いても本人は文字が読めない、文字が書けないということを周りに黙っていました。それもそうですよね、自分の弱点や弱みって周りの人にさらけだすことって出来ますか?それも周りの目が変わるような内容のことです。それってすごく勇気がいることです。どのくらいかというと親や親戚に自身の初体験を詳細に報告するくらいです。そんなことって普通出来ますか?

そんな事が続いてその子の家族が病院に連れていって、ディスレクシアと診断されたとのことですが、それすらもその子にとっては対外的に自分の弱点をさらけ出されたようなものです。上記の例でいうと正確なウソ発見器で、親や親戚がいる前で初体験を1から10まで聞かれ続けられるようなものです。

今もまだ学生ですが、家に引きこもってしまっているようです。

状況的にも家族もその子のことを理解出来ていない状態です。

ディスレクシアってだけでそういうことも起こってしまう、さらに病気や怪我など誰でも経験や理解出来るものでないので、本人もその周りもどうしたらいいか分からない状態です。

本人もどうすれば良いのか正解も進むべき道も考え方も分からず、出口のないトンネルを彷徨っているような状態だと推測出来ます。

それも私がマイノリティで周りに理解されずに生きてきたのでそう思います。

私もマジョリティの人に比べたら理解されないということで辛い人生を送って来たので、助けたい、救いたいって気持ちが強いです。

遠い親戚で血も繋がっていないし距離も遠いので何か出来るかと言われれば何も出来ない状態ですが、会う機会があれば会って話をしたいなと思っています。

誰かに肯定されるってこういうことだよと教えてあげたい

 

現代は何かの項目でマイノリティになった時点で生きていくのに支障が出るような社会ですが、LGBT発達障害等も認知されはじめたので、今後は認知⇒理解へ世の中が変わっていくことを期待します。

さらに認知⇒理解⇒尊重⇒共存⇒多様性を受動した上で発展する人類になればいいかなと思います。

怒りは周りも自身もダメにする

あー最近本当に時間が足りないなぁと感じてます。

一日24時間で何が出来るか、一週間168時間では、一カ月間・・・時間、一年間・・・時間ではなどと考えています。

 

今日は記事を書き上げるタイムを計測します。

(一記事どのくらいの時間をかけているか計測スタート!少し雑になるかも)

 

では本題に入ります。

「怒りは周りも自身もダメにする」ですが、

結論としては、「感情が高ぶっている時には何も解決しない、むしろ悪化する一方」です。

 

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私は怒りの感情がほとんどなく、本気で怒ったことってここ数年ありません。

人生でも一度くらいしかありません。

年を取るたびにもともと少ない感情がさらに少なくなっていくのを実感しています。

 

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ここでの怒りとは、私の親のことを記載します。

(以前の記事でも記載しましたが、私は私の親に特別な感情を抱いてないです。血縁関係では親みたいな感覚です。これも病気だからかもしれませんが)

 

では怒りの感情からその経過についてを記載します。

 

  1. 怒りの発生源
  2. 怒りの矛先
  3. 怒りを解放した際の状況

 

「1.怒りの発生源」ですが、

皆さんは普段怒ったりする場合、何が原因で怒りますか?

それは、プライドを気付つけられたとか、思うようにいかないとか、相手が言うことを聞かないとか、主観で感情が振れたときではありませんか?

集団やグループの場合、家族がいじめられたとか、仲の良い友達をけなされたとかとかで、

物や事の場合、私が所有している車をバカにされたとか、私が通っていた大学をバカにされたとかになるかと思います。

事象で言うと単純に上記だと思いますが、それって自分を基準として、自分より上と思っている人かまたは下と思っている人かの要因と、

自身が重要と思っているか否かの要因が大きいと思います。

 

私の例でいうと、私の親は私の言動に怒ります。

その要因は、私の親が私を下とみていること、

私の親は自身の保身が一番重要と思っていることです。

例えば、私が家を建てるとなったときに、私の親はこのメーカーでこういう家を建てろ、とかこんな間取りにしろとか、金額はこのくらいで決めろとか言ってきたのですが、全てを無視して、妻と子供と私が納得するメーカー、間取り、金額で決めました。

すると私の親としては、自分よりも下の人(私)が自分の言うことを聞かず、勝手に色々決めたと思い、思うようにいかないと考えて怒り、その怒りを私にぶつけます。

いつも事なのでもう慣れましたが、妻はなぜあなたの親はあなたや私の意見を尊重しないの?などと言います。

私は親が怒っているのはあまり気にならず、さらにそういう場合脳が活性化され、親の意見を論破し続けます。

(客観的に考えて、怒られている状態でもなぜ親が怒っているかをずっと考えています。ぶっちゃけ親の言葉は何も響いていません)

そうなるともうお分かりかもしれませんが、火に油を注ぐ状態になり、さらに親は怒ります。

ここでもう一つの要因があり、私の親は知り合いがそのメーカーでこういう家を建てた、息子にも勧めて欲しいと言われており、保身が発動しました。

私の親としては、知人に家の事を教えて貰った⇒子供にもそのメーカーで家を建てさせる⇒知人に良く見られたい。と脳内で変換されており、その保身をぶち壊されたと思い上記と合わせて感情が最大限に振れます。

 

「2.怒りの矛先」ですが、

上記の例で言うと私の親の怒りの矛先は私です。

私の妻に怒っても仕方ありませんし(他人だし)、私の子ども(孫)に怒っても孫に嫌われるとなると私しかいません。

人は感情が怒りにふれると、その怒りを自身では処理できず、何かにぶつけようとします。

私としてはそもそも怒る理由もくだらないと思っていますが、私の親は怒ると矛先を自分よりも下のものや弱いと思っているものにして、怒りを言葉や暴力にしてアウトプットしないとずっと怒りの感情は消えません。

これが一般的なのか否かもよくわかっていませんが。

 

「3.怒りを解放した際の状況」ですが、

上記の例では、私の親は私に対して怒りをぶつけます。

怒りをぶつけるとぶつけた側、ぶつけられた側も負の感情になりますし、さらに周りも負の感情なります。

ここでいう周りとは私の妻や子供のことです。

私は特殊なので、怒られてもそんなに気にならず、相手を論破し続けるので良いですが、状況を見てみると、妻は私が怒られてことで、自分も怒られているような感情になり、子供も自分の親(私)が悪いことをしていないのに怒られているので見て、落ち込んだりします。

怒りを解放して、怒った本人は変な言い方ですが、すっきりするかもしれませんが、相手と周りは嫌な気持ちになります。

怒っている人はそのような状況になることも考えられず、自分の制御できない感情を解放しています。

 

私の親は私に怒りをぶつけて、私が親に対して反論できないくらいに論破し続けるので、最終的に黙ります。

私としては親が怒りを私にぶつけたから満足したのと、論破され続けて親の意見が間違っていると思わせたので、黙ったのだろうと思っています。(違うかもしれませんが)

 

少し脱線気味ですが、上記から「感情が高ぶっている時には何も解決しない、むしろ悪化する一方」というのが分かるかと思います。

人の気持ちが分からない私が私なりに考えたロジックですが、ほぼ合っているかと思います。

 

なので怒りっぽい人は、一旦落ち着いて自分は何が原因で怒っているのか、自分はどうしたいのか、相手にどうしてほしいのか、相手は何を考えてそうなったのかを考えてみて欲しいです。

この記事が私の親に届くことはありませんが、届いてほしいですね。

 

私が言いたいことは、肯定し合えば(認め合えば)みんなハッピーになれるです。

 

記事作成タイムは50分でした。

(考えながら記事を書くと時間がかかることが分かりました。)

 

ではここで締めます。

 

地球で一番の危険生物は人間

3月から4月にかけての季節は出会いと別れがありますよね。

私は4月が一番好きな月です。

 

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というのも4月は人生のおいて新しい出会いがあるからです。

(日本の場合は人と環境ががらっと変わりますよね)

昔から別れを悲しむよりも、新しい出会いにわくわくする気持ちの方強かったです。

(薄情者なので別れはそれほど悲しいと思ったことがありません、まぁ今生の別れになるとは限りませんからね)

 

ということで本題に入ります。

今回はいつもと違った内容です。(書きたいことがコロコロ変わるのと今回はいつも以上に意味不明の内容かもしれません)

 

結論はタイトルと同じですが、「地球上で一番の危険生物は人間」ということです。

 

近年日本では外来種というワードが流行っていますよね。

wikiってみたところ、外来種(がいらいしゅ)とは、もともとその地域にいなかったのに、人為的に他の地域から入ってきた生物のこと。だそうです。

いつも思っているのですが、生物の本質は子孫を残すことだと思っています。

それが人間だろうと、動物だろうと植物だろうと同じです。

外来種は人為的にその地域に入れられたということですが、そもそもその生物はその環境に適応出来ているので、そこにいてもいいのでは?なんて思っています。

学者や世論は生態系が云々と言いますが、人間がいなくとも将来的にはそうなるんじゃないの?とか思ってしまいます。

その生物は環境に適応する能力があり、子孫を残すという本質的行動を取っているのだけかななんて思います。

そもそも人間などの他の生物の恩恵を受けて他の地域に根付くことってそんなに悪いことなの?などと考えます。

例えば、服などにくっつく種をもつ植物(ひっつきむしやバカなどと呼ばれるオナモミ)はそもそも種を運んでくれる生物に自身の種をくっつけて生存範囲を広げますよね。

それと同じで動物も同じ行動を取ってもなんら不思議じゃないと思います。

 

外来種というワードもそうですが、人間って人間視点で物事を決めたりしますよね。

地球視点だと、地球にとって一番害悪な生物って人間一択だと思っています。(持論100%なので異論は認めます)

人間は地球の資源を使い続け、他の動物、植物を食い漁り、地球上のほとんどの大陸を侵略し、そこの生態系をぶっ壊して、住む場所や衣類などで無理やりその環境に適応して生活していますよね。

さらには個体数も増え続けて、その地域の生態系が人間が来る以前のままってことなどないんじゃないでしょうか?

そんな人間に、外来種扱いされたらその生物はたまったものじゃないですよね。

 

人間の上記の行動は子孫を残すという本質的行動そのものだと思います。

しかし人間には欲と頭脳があるので、生物学的には同じ種族だとしても、戦争などで互いを気付つけ合ったりしますよね。

 

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他の生物からしたら、もともと住んでいた地域を侵略されて、捕食され、更にはその地域をめぐって戦争などを始めるといったような地獄を経験しています。

さらには動物園や水族館などで見世物にされたり、調教や養殖などで本来その生物の本質をねじ曲げられます。

こんなこと考えること自体おかしいと思いますが、人間以外の動物や植物などを見るとそう思うことが多いです。

 

上記のため外来種が云々みたいなニュースなどを見ると、違和感を感じます。

 

最終的に言いたいことは、人間って人間視点で物事を考えすぎている。

(人間の子孫を残すという本質的には間違っていないような気もしますが)

他の生物視点や地球視点、少し飛躍しますが宇宙、空間視点で考える人がほぼいない。

外来種みたいに言うこと自体お門違い。人間は人間の行動を振り返らない。

 

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という考えの人もいるんだなと思ってもらえればいいです。

 

まとまりも何もない記事になりましたが締めます。

社会貢献を考えてみる

地球はエネルギー不足らしいですね、

エネルギー=物質との認識がありますが、太陽光のエネルギー(熱量)って太陽がある限る無限に地球に注がれていますよね?

太陽光を物質と定義するか否かでも変わるかと思いますが、

太陽光エネルギーにシフト出来れば解決出来るのでは?

なんて春が近づき日が長くなってきて考えています。

(技術が追い付けばエネルギー不足って解消されるんじゃね?的な)

 

では本題に入ります。

「社会貢献を考えてみる」ですが、

みなさんは普段、学校で勉強なり、会社で仕事をしていると思いますが、

社会貢献を意識したことってありますか?

あなたが仕事をして、あぁ社会貢献出来てる、と感じることってありますか?

 

先に結論を言うと「社会貢献を意識するとモチベーションが上がる」です。

以下の項目で深堀していきます。

 

  1. ユーザとの距離が近いと実感が持ちやすい
  2. 対象が多数の場合、その分社会貢献度も大きい
  3. 今の仕事をすることで社会がどうなるか考える

 

「1.ユーザとの距離が近いと実感が持ちやすい」

ですが、仕事って基本的に与える側(提供者)と受ける側(顧客、ユーザ)に分かれていて、一般的な会社での仕事って与える側のやること(すべきこと)だと思っています。

(これも持論なので意見はあるかと思いますが、続けます)

ではユーザとの距離が近いとは何かですが、

例えばあなたが飲食店の店長だとして、ユーザ(お客さん)に料理を提供して、対価(お金)を貰い、さらに「ありがとう」と言われるとします。

その場合、あなたとユーザの間には何もないですよね?(距離が近い)

今度は、あなたがビスを作っている会社で働いているとします。ビス(ねじ)を作ると、そのビスが発注した会社に収められてさらにビスを使って発注会社がユニットを作り、発注会社がメーカーにユニットを収めて、メーカーがユニットを組み合わせて製品を作って、製品を代理店に収めて、代理店がユーザに売る場合、あなたとユーザとの距離って遠いですよね。

個人で社会貢献を考えると、はやりユーザとの距離が近ければ近いほど実感を得やすいと思います。(病院での仕事って社会貢献の滝を毎日浴びてますね)

補足ですが、後者の場合、ユーザに近い側の方が実感を得やすいです。(代理店の人の方が得やすい)

これもちょっと図をつくってみます。

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「2.対象が多数の場合、その分社会貢献度も大きい」

について、社会貢献を範囲で考えると、対象(ユーザ)の人数や規模が大きい方が、社会貢献度は大きいです。

あなたの仕事が誰に影響しているか、どのくらいの人数か、どのくらいの規模かと考えたことってありますか?

前述の例でいくと、飲食の店長なら相手はお客さんとなり、店に来てくれた人に対して社会貢献していると考えられる、ビス(ねじ)を作る工場なら、そのビスを使っている製品を購入した人が対象となります。

例えばビスをスマホやパソコンで使っている場合、影響範囲って何十億人となり、規模も世界レベルになりますよね。製品を使った人が人生が豊かになれば社会貢献度は大きいです。(規模が大きければ関わっている人も多いですが)

ここでも補足ですが、視点を変えると料理に使っている材料(野菜とか)を作っている農家の人は実は社会影響度が大きいです。

意識したり考えたりしないとここの内容は分かりにくかったりします。

関わってくる会社や人数にも関係しますがそういうことです。(説明が雑で少し理解するのが難しいかもしれませんが)

 

「3.今の仕事をすることで社会がどうなるか考える」

について、あなたが仕事をすることで社会がどうなるかを考えることって大事です。

ただ上司に言われたからこの仕事をしている。上司に認められたいからこの仕事をしている。クビになりたくないからこの仕事をしている。給料が欲しいからのこの仕事をしている。などと普段から考えているとモチベーションを上げるのって限界があります

会社側の人(経営者)はいかに社員のモチベーションを上げるかを考えていて、社内で出来る(考えられる)ことの中で社員のモチベーションを上げようと考えるはずです。うまい会社は悪い言い方をすると洗脳が成功しています。

でも私みたいな考えの人(マイノリティで勝手に社会貢献とか言い出す人)からすると、会社側の人(経営者)の為に働いていると考えるとモチベーションが低下し続けます。やりがい、目標、指針、給料(昇給、昇格含む)を作られてもそれって社員の生産性を上げて利益を上げたいからでしょ?とか思ってしまいます。

少し脱線しましたが、考え方を変えて、この仕事をすることで社会が豊かになるなどと思うと確実にモチベーションは上がります。

前述の例でいうと、ビスを作る仕事をしているとすると、そのビスはどの製品に使われているか、またその製品はどういったことをするのか、どのくらいの人が求めているのか、また社会がどのように変わるのかと考えたり、調べたりするだけで、最終イメージを想像できます。

そのビスを作る仕事で考えると、もっといいビスを作れば製品の耐久度が上がるとか、ユーザが困らないようにミス(欠陥)なくビスを作ろうとか思えるはずです。

ざっくりですが上記を考えるとモチベーションって上がりますよ。

仕事やる気ない、モチベーションが全然上がらないとか思っている人は一度上記を考えてみるのもいいかもしれません。

 

言いたいことが右往左往していますが、どの項目も「社会貢献を意識するとモチベーションが上がる」に繋がります。

 

これから人生の選択を行う人は、自分が何を重要視しているか(例えば実感をユーザとの距離を近くして得たいか、社会貢献度は大きい方がいいからその一員になりたいとか)を考えてもらえればいいかなと思います。

 

ではここで締めます。

考え方を変えれば誰でも幸せになれる

最近宇多田ヒカルさんの楽曲を聞いています。

いやー声がいいですねぇ。

癒されます。

10代~20代の頃は洋楽しか聞いていなかったので、今更新鮮な気持ちになっています。

 

では本題に入ります。

「考え方を変えれば誰でも幸せになれる」についてです。

幸せとか幸福度とかは個人の主観や価値観が大きいですが、私なりの考察を記載します。

 

結論は「今のあなたは幸せですよ」です。

 

では掘り下げて説明していきます。

まずは下記の図を見て下さい。

(最近図を作ってばかりですが、言葉や文字よりも伝わりますよね)

 

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幸福度

もう分かった人は、そっと戻るボタンを押下して下さい。

 

では視点ごとに説明してきます。

  1. 現在
  2. 不幸
  3. 幸せ

 

「1.現在」

は今のあなたの状態であり、あなたの幸福度の基準となります。

今は幸せではないなぁとか、あの人は私よりも幸せそうだなとか思うことはありませんか?

ではそう思った場合、なぜそう思うか考えたことはありますか?

それは幸せだと思うあなたを基準にしたり、他人を基準にして今のあなたと比較や評価をするからです。

 

今のあなたの状態を上図の「現在」に置き換えれば、「不幸」よりも「現在」の方が幸せであり、「現在」よりも「幸せ」の方が幸せとなります。

「現在」と「不幸」を比較した場合「現在」の方が幸せですよね?

例えば、今のあなたは衣食住を満たしており、さらに自分に投資する(自由に使えるおこずかいがある)ことが出来るとします。

その中の何かがなくなったりしたらあなたはどう思いますか?

災害で家がなくなった場合、あなたは「現在」の方が幸せだったと感じるはずです。

会社が倒産してお金がなくなった場合、あなたは「現在」の方が幸せだったと感じるはずです。

気付いたり意識したりしないと思いますが、「現在」は「不幸」よりも幸せです。

 

「2.不幸」

上図の「不幸」は基準を「現在」とした際の、「不幸」となります。

ここら辺でもあれっ?もしかしてと思って気付いた人はそっと戻るボタンを押下です。

では今度は「不幸」を上図の「現在」に置き換えてみましょう。

すると「不幸な現在」よりも「不幸」なことがあるって分かりますよね?

例えば災害で家がなくなったを「現在」だとすると、さらに食糧難で食べるものがなくなったとしたら、もっと「不幸」になりませんか?

上記の状態で災害で家がなくなったを「現在」だとして、家を与えられたら「幸せ」になりませんか?

なので「不幸」に底はないと思っています。

基準を変えれば「不幸」でも「幸せ」と感じることが出来ます。

 

「3.幸せ」

ですが、この項目が一番厄介です。

というのも人の欲は際限がないということ、「幸せ」を「現在」に置き換えてしまうとそれよりも「幸せ」な事を知ってしまうということ。

さらに、人は「幸せ」から「不幸」になることに拒絶反応を起こすことがあります。

(本能とかそういった類の感情だと思います)

そして、「幸せ」を当たり前とか日常とか思うと、それが続けばよいですが、続かなかった場合、突然なくなった場合は、人間の気持ちは状況よりも「不幸」側に振れます。(これが一番厄介ですね)

割り切れる人や、「不幸」を知っている人は耐性がありますが、以外の人は絶望を感じると思います。

でも安心してくださいその絶望を基準として「現在」に置き換えればそれよりも「不幸」なことは必ずあります。

 

色々言いましたが、極端に言うと、日本に生まれて生活している時点で地球上の人間全てを基準にするとあなたは「とてつもない幸せもの」です。

 

私が言いたいのは、今のあなたの当たり前と思っていること、日常は幸せで満ち溢れてるということです。

それをたまに意識してみると、「幸福感」を得られると思います。

 

結論として「今のあなたは幸せですよ」となります。

 

不幸だぁ、もう駄目だと思っていても考え方を変えればそれは幸せなことになります。

考え方を変えれば誰でも幸せになれますよ。

 

締めが決まったの締めます。